国内からの弔辞
荻田先生から教えられたこと
私は、遺伝性の多発性血管腫で、二人の息子たちと共に、約9年の間、荻田先生の局注療法を受けてきました。
先生とは、たまたまの出遇いでしたが、それは私たちにとっては本当に有ることの難いものだったと思います。
血管腫という病気は一般的なものですが、私たちのように、代々の遺伝性でかつ体中のいろんなところに多発し、しかも痛みを伴う血管腫というのはあまり例がないようで、私は長い間、まともに悩みを受けとめてもらえるドクターに会えないでいました。
その点で、荻田先生とは、よくコミュニケーションがとれたと思います。医師と患者として対等に、出口の見えない治療に向き合うことが出来たと思います。そして、たとえ治療に効果が認められなくても、「では次はどうしていったらいいか」ということを、私たちが受動的になることを求めるのではなく、自分と一緒に考えることを厭わない方であったことに、今さらながら敬意を抱いています。先生とのやりとりの中では、それは当たり前のことでしたが、本当はなかなか得難いことであることを、私は重々承知していました。だから、何年か前、ある時の治療の帰りに、先生に言ったのでした。「先生、絶対に死なないでくださいね!!」と。それは、もしも先生がいなくなったら、親子で途方にくれるに違いないことが、なんとなくわかっていたからでした・・・。
一昨年の暮れ、突然休職された時は、ちょうど、長男がすごく調子を悪くしていて、入院したり、頻繁に外来に通っている時だったのですが、既にあの頃、ご自身が重く患っておられたのでしょう、今から思えば、お顔色がすぐれなかったり、寒くない日に、一人だけ厚いセーターを着込んでおられた姿が脳裏に焼き付いています。そんなお姿に、なんとなく不安を覚えていたのですが、まさか、突然休職されることになるとは思いもよりませんでした。
本当はずっと前から具合が悪かったのに、先生はぎりぎりまで仕事を続けておられたのですね・・・。無理をせずに早く休んで体を治してほしかった、と思うのは患者のエゴでしょうか・・・。年が代わって、季節が新しいいのちの芽吹きを感じさせる頃になっても先生が復帰されないことに、私の中で深刻な予感がよぎり始めてはいましたが、それでも、必ずいつかまた、いつもの笑顔に会えると信じていました。だから、息子や私の治療も、先生の復帰を待って、ずっと中断したままでした。
けれど、私たちの願いは叶わず、私たちはかけがえのない大切な人を失う悲しみに耐えなくてはならなくなりました・・・。 私は、先生にはその死によって、人間として、大切なことを教えられたと思っています。
それは、『人間は、たとえどんなに社会から必要とされる、有益な仕事をしている人であっても、死とは無縁ではない』ということです。若くても、充実した仕事をしている最中の人であっても、死は人間の都合を越えてやってくるということ。人間は、生まれる時も死ぬ時も自ら選ぶことはできないという真実・・・。
先生の死は私自身の身に、その真実が我が事として、圧倒的なリアリティをもって迫りました。そして、「あなたは、生きている間に、どんな仕事をしていくのか?」 「本当に大切なことは何か?」「今のように生きていていいのか?」「人間は、いつ死ぬのかわからないんだよ。」と、荻田先生から、そう問いかけられている気がしてなりません・・・。
今も私は、荻田先生の死は信じられません。どこか遠くに誰かを助けに行かれているだけのような気がしています。それでも時は過ぎてゆき、私たち親子はこれからも病気と付き合いながら、生きていかなければなりません。その中で私は、荻田先生の仕事を引き継いでくださった常盤先生に感謝するとともに、常盤先生との出遇いを大切にしていきたいと思っています。そして、親子共々この身をたくましく生きていきたいと思います。
荻田先生、本当に有り難うございました。
