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国内からの弔辞

 以下は私が荻田先生に初めてメールを送り、お返事を頂いた時のものです。

 「メ-ル拝読いたしました。私どもの治療に興味をお持ち頂き有り難うございます。ただ、海綿状のリンパ管腫で四肢全体に拡がるタイプは私どもも治療に難渋いたしております。このようなタイプでは治療の主眼を合併症の再発予防においております。もし、京都へおこし頂けるのであれば、喜んで診させて頂きます。」

 省略させて頂きましたがこの中には診察の曜日、時間、予約等についても詳しく記載されていました。

 驚いたのは「専門ではないから」という理由で診て貰える病院がない中、多忙な先生のようだし、返事は貰えないだろうと期待せずに出したメールに日をおかずこのように親切なお返事を頂けたことでした。

 私が異常に気づいたのは2001年の夏のことでした。息苦しさとお腹の張りを「運動不足で太ったのだろう」程度に考えているうちに日に日に腹囲は増加し呼吸をすることが困難になって来ました。念の為、と健康診断のつもりで撮ったレントゲンでは腹部から胸にかけて多量のリンパ液の貯留が認められました。

 様々な病院で検査を受けましたが原因についてはなかなか分かりませんでした。推測ですが、と告げられる病名の中には私を絶望させるものも多々ありました。ところが京都へ初めて伺ったその日に基本的な検査は全て終わり、具体的な病名、治療の方向まで教えて頂くことが出来たのでした。遠くからいらしたのですから、と予約で一杯だったためそこでは受けられない検査をするために近くの病院を紹介して下さったのです。

 遠方から訪れる患者のために宿泊施設の案内までしておられる先生だということもその日に知りました。荻田先生の経験の豊富さと知識の深さ、そして親切で謙虚な姿勢にただただ驚くばかりの一日だったことを覚えています。

 それから外来と入院による治療が始まりました。入院生活は全部で9ヶ月ほどにもなったでしょうか。その間多くの先生方や看護婦さんにお世話になりました。なすすべもなく途方に暮れていた私にとって身体的なことだけでなく、精神的にも親身になって励まして頂いたことはどんなに嬉しかったことでしょう。また病気と闘うたくさんの方とも知り合いになり、励まして貰いっ放しの入院生活でした。

 闘病生活の中で荻田先生が言ってくださった言葉で忘れられないものがあります。それは「一緒に頑張りましょう」という言葉でした。先生は診る立場、私は診られる立場、そんな当たり前と思っていた事を、しかし先生はそう思ってはいらっしゃいませんでした。両親に後日聞いた話では「なかなか退院の運びとならず申し訳ありません」とまで言っておられたそうです。先生が悪戦苦闘されていること、私だけがつらくて頑張っているのではないと気づかされた言葉でした。先生も、一刻も早く患者を救ってあげることが出来ないことでつらい思いをされているのだと。

 2,3日に1回は多量に抜かなければ苦しくてしかたなかった腹水でしたが、何回目かの治療(手術)の結果、腹水の溜まるスピードが日に日に減って来ました。そして退院のめどがついた頃には日常生活に支障のないくらいの程度にまで改善したのです。退院後2年半ほど経ちましたが、今ではもう通常と変わらないまでになっているそうです。

 2002年春、当初の退院予定月を過ぎても病状が良くならない私に荻田先生は「新緑の頃には退院できるように頑張りましょう」と言って励ましてくださいました。そしてその約1年後、患者に不安を与えないよう療養の理由を明かされないまま、そして最後まで諦めずに病気と闘われた末に永い眠りにつかれたのでした。

 荻田先生は常に患者に希望を与えてくれました。思いやりをもって接してくださいました。高名な先生でありながら全く偉ぶったところのない、謙虚で温和な先生でした。後から伺った話ではご自宅でも常に机に向かい患者さんと連絡を取られていたそうです。どこに居ても先生は病気で苦しむ人々のことを忘れることがなかったのではないでしょうか。もしも、もっと早くご自身の体調に気づいていらしたとしても、休むことなくお仕事を続けられたのではないか、そんな風に思わないではいられません。

 日々健康で普通に生活できることの幸せを、人は忘れてしまう時があります。当たり前に生活できているからこそ出てくる悩みのなんと多いことでしょうか。大らかに、けれど一生懸命に、希望を持って恐れずに、けれど慎ましく・・・・・荻田先生は常に私の中に存在し、大切なことを見失いそうになる時には私にそれを教えてくれるのです。

 最後に、世界の荻田先生と呼ばれるほどの方でありながらそんな風に振舞うことのない荻田先生にまつわるエピソードの一つをお話したいと思います。

 先生はリンパ管腫の病気以外の患者さんと関わられることはあまりなかったようでそのせいもあるのだと思いますが、ある患者さんからは「なんや、お父さんとしゃべってはるのかと思ったわ~。」と言われ、ある時には「さっきすれ違った人が荻田先生やったんかなぁ~?どっかの係の人かと思ったわ。」と言われたこともあります。またある時は一度も話したことがないのにエレベーターで突然ねぎらいの言葉をかけて貰ったけど、あれが荻田先生だったのだと最近知ったよ、とスタッフの方が教えてくれたことがありました。

 先生を思い出すたびに温かいものが心にこみあげます。

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